2025年08月26日
春夏学期開講の「経営戦略」(担当教員:藤原雅俊教授)では、経営戦略に関する講義とケーススタディを通じて、経営戦略に関する知識を習得するとともに戦略的思考能力を育成し、経営戦略に関する基本的なフレームワークや考え方を日常の戦略思考の中に定着させることを到達目標としています。7月8日には、元・東京海上ホールディングス株式会社代表取締役副社長の石井一郎氏をゲスト講師として招き、「クロスボーダーM&A」について講義をいただきました。東京海上グループは、2000年頃から海外企業の買収を通じて業容の拡大を図っており、石井氏はそれらの取組みをリードされてきました。当日の講義の様子を紹介するとともに、今年度より本講義を担当する藤原教授に「経営戦略」の意義について伺いました。
東京海上グループの海外展開の沿革
東京海上グループの海外展開は、2008年から本格始動とよく言われますが、それ以前から主に海外に進出する日系企業を支援する形で海外事業が行われていました。そうした中、非日系の大型M&Aとして行ったのが、1980年のヒューストンゼネラル社(米国)の買収でした。しかし、買収後に業績を上げられず、結局97年に売却・撤退をするのですが、私はその売却処理を担当しました。事業の総括をしていく中で、多くの教訓を得た案件でした。
その後、2000年に非日系の再保険事業として米国バミューダに現地法人を設立したのが、本格的な海外事業への転換期の始まりです。当時、東京海上グループの事業ポートフォリオは国内に偏重しており、リスク分散の視点からも海外事業の拡大は必然でした。続く01年にはインドやタイなどの新興国で現地企業とのジョイントベンチャーを相次いで開業。また、マレーシアやブラジルなどでは現地企業を買収し、生損保事業を開始しました。08年以降は、欧米を対象としたM&Aが増加し、08年のキルン社(英国)、フィラデルフィア社(米国)、12年のデルファイ社(米国)、そして15年には1兆円近い大型案件となったHCC社(米国)を買収しました。
私自身は、1978年に入社後、自動車保険の商品開発や管理を担当し、その後、85年に自ら希望して米国に赴任。それ以降、一貫して海外事業に携わり、最終的には副社長として海外事業全体の経営管理と事業戦略を担当しました。
学生からの質問
海外事業の拡大はリスク分散の目的があったとのことですが、事業ポートフォリオとしてはどのような考えがあったのでしょうか?
石井氏
2000年頃に海外事業を再編し、アジアで従来からの日系ビジネスに加えて非日系ビジネスの本格的な展開を始めました。欧米では日系ビジネスの延長で非日系事業を始めましたが、日系とは異なるビジネス要件に苦戦が続いていました。そこで、新しい事業をM&Aを通じて始める方針を打ち出し、その第一歩となったのが、キルン社とフィラデルフィア社です。M&Aによって収益性を伴う形で海外事業のポートフォリオを拡大しようとした結果、このような展開となりました。当時から既にERM(統合型リスク管理)の考え方を持っていたので、リスク分散という観点もありました。
学生からの質問
買収の際には他社と競合になることもあると思いますが、どのように競り勝ったのでしょうか?
石井氏
ビッド(入札方式)による買収競争は冷徹です。ある案件では、ビッドの相手が「いくらでも出す」と言って仕掛けてきましたので、太刀打ちできませんでした。ですから、ターゲット企業を決めた後は、出来るだけビッドになる前からアプローチするところから始めます。そうした有望な企業の情報はなかなか得にくいのですが、特定の分野に深い情報源を持つ調査会社などとの情報交換を密に行っていました。
学生からの質問
ヒューストンゼネラル社は失敗事例だったとのことですが、そこからの学びについて教えてください。
石井氏
この会社は優良な事業を持っていたのですが、買収後にテキサス州の法律が変更されたことから、収益源の事業が行えなくなり、事業ポートフォリオの転換を余儀なくされました。その後、経営を社外から招聘した人物に任せたところ、一向に業績が上向かず、本社からその人物を介して経営を見ていても実態が分からない状態でした。その後、経営管理態勢を現地に移してから実態が少しずつ分かってきたのですが、PMI(買収後の経営統合)の課題を多く学べた貴重な機会になりました。
学生からの質問
買収計画を立てる際には、買収後の業績見通しとしてストレッチな数値を設定すると思いますが、どのように買収後のシナジーを出し、ストレッチ目標を達成していくのでしょうか?
石井氏
買収時に作ったストレッチな計画を現実的でチャレンジングな計画に落とし込んで進めました。現場に買収時のストレッチ目標を押し付けても上手く行きませんので、新たなチャレンジング目標をベースにシナジーを含めた具体的なアクションプランに落としこんで、これに対する日々の進捗をモニタリングしながらきめ細かく調整を図っていくことが肝要です。
学生からの質問
PMIにおいて、本社と買収先企業の連携役となるリエゾンには、どのような人材が適していますか?
石井氏
リエゾンは、極めて重要なポストです。人材としては、「自分は東京から来た」と言って本社の権限を振りかざすような人はだめで、自分自身の人間力・コミュニケーション力で勝負できる人、そしてきれいごとではなく、とことんやり合える人でなければなりません。ですから、海外事業チームの中からエースを指名していました。その人が出向したら、また次のエースを育てる必要がありますから、先を見て若い年代から厳しい環境の経験を積ませるということを意識的にやっていました。
学生からの質問
PMIを進める上で要諦となることについて教えてください。
石井氏
買収後、まずは先方の経営陣とこれから何をやっていくのかをしっかり話し合うことが大切です。そして、それをいつまでに実現するのかという計画に落とし込み、あとは予実の管理をきめ細かく行っていきます。経営陣との話し合いは、本音でやり合うことが重要です。リエゾンも重要ですが、彼らを介した話し合いに任せきるのではなく、トップ同士が通訳抜きで本気で話し合うことが肝要です。こうしたトップ同士のホットラインがPMIを成功させる秘訣だと思います。
「経営戦略」講義の意義
担当教員:藤原雅俊教授
一橋ビジネススクールの教育コンセプトは、「理論と現実の往復運動」です。このコンセプトに基づいて、私が担当している「経営戦略」では、競争戦略や全社戦略に関する理論を学び、その理論をケーススタディに適用して現象を読み解くことを重んじています。教室で繰り広げられる活発な討議を通じて戦略理解を深めつつ、理論を体に染み込ませていくことを狙っています。学んで頂きたいことは、流行りの知識ではなく、長持ちする思考力です。
「理論と現実の往復運動」を通じて経営思考力を鍛えるには、経営現象の背後に潜む因果関係を丁寧に読み解こうとする努力が必要不可欠です。当然ながら、その努力には相応に長い時間がかかります。経営分析プログラムは全日制ですので、じっくり時間をかけて課題に取り組むことができます。とかく時間効率や手軽さを求めがちな世の中ですが、経営分析プログラムを受講する皆さんには、その真逆を行く機会にどっぷりと浸かって頂きたいですね。長い人生の中で、それはかけがえのない2年間になることでしょう。