2026年06月16日
経営分析プログラムの春夏学期に開講されている「財務会計」(担当教員:円谷昭一経営管理研究科教授)では、財務会計の基礎的な知識の修得に加え、会計情報の分析(財務分析)や会計情報と資本市場とのかかわりなどについても学習することを目的としています。5月11日には、ゲスト講師として株式会社日本経済新聞社 編集委員の小平龍四郎氏をお招きしました。「証券市場 失われた30年からの教訓」と題する講義が行われ、証券市場の最前線で取材を続けた経験に基づくダイナミックな歴史観についてお話を伺いました。
「失われた30年」とは、1990年代のバブル経済崩壊以降、日本経済が長期にわたり失速し、デフレーション、停滞していた期間です。この期間は、大きく10年ごとにフェーズが変わっていると考えています。まず90年からの「90年代」において日本経済は、その後の停滞を招いたいくつかの過ちを犯しました。そして、2000年からの10年間は「90年代」の克服がテーマとなり、さらに2010年からの10年間では「90年代」を振り切るための取組みが重ねられました。現在、日本の証券市場は再び史上最高値に沸いていますが、この先、「90年代」に別れを告げて先に進むことができるのか。本日は、「90年代」を解明しつつ、その後の証券市場を10年ごとに振返りながら、歴史から得られる示唆を考えたいと思います。
1990年~2000年:「90年代」に何を誤ったのか
「90年代」を語る前に、それ以前、つまりいわゆるバブル期の証券市場について触れたいと思います。それは、一言で言うと「無法地帯」でした。インサイダー取引規制が制定されたのは89年。株式の大量保有報告制度における5%ルールは90年、証券取引等監視委員会の設置は92年です。それまで日本はある意味「新興国」であり、ようやく「先進国」としての市場環境の整備が始まったところでした。その変化の過程で矛盾が噴出し、バブル崩壊へとつながったというのが私の見立てです。
「90年代」は、バブル崩壊後の対応の遅れと、国を挙げた実態の隠蔽・先送りによって深刻な長期停滞へと突き進んでいきました。この間、何を誤ったのか、5つの論点から解説します。
論点①:地価下落が株価に遅行
「90年代」は、バブル崩壊後の対応の遅れと、国を挙げた実態の隠蔽・先送りによって深刻な長期停滞へと突き進んでいきました。この間、何を誤ったのか、5つの論点から解説します。90年の株価急落後も地価の上昇が続いたため、社会全体に根拠のない安心感が漂いました。90年代半ばに地価がマイナスに転じて初めて経済の異常に気づく事態となり、地価下落の遅れが金融危機に対する初期対応を遅らせる最大の引き金となりました。
論点②:不良債権の把握を逡巡
銀行は地価下落により直撃を受けましたが、当局は危機の深刻さを把握しながらも社会的な衝撃を恐れて事態を矮小化し続けました。93年に公表された不良債権額は定義が極めて狭く、その額は「12兆7,538億円」でした。しかし、実態は約50兆円と推定した外国人投資家は日本株の売りを加速させました。日本銀行も内部調査において「50兆円規模」と見ていましたが、当時、それが公表されることはありませんでした。初期の隠蔽と処理の怠慢により銀行のバランスシートはさらに傷つき、リスク融資ができなくなった結果、経済が冷え込んで新たな不良債権を生む悪循環が発生しました。最終的に92年から2005年までに金融機関が処理した不良債権の総額は約100兆円に達しました。
論点③:価格シグナルを封殺
株価急落を受けて政府・当局は市場経済の原則をねじ曲げ、株価維持政策(PKO)と呼ばれる人工的な下支え策を実行しました。証券会社等への売り自粛指導、企業の新規上場の原則禁止、年金資金による株式購入などの歪んだ介入を行った結果、株価の急落こそ一時的に免れたものの、株式市場としての機能は完全に麻痺しました。
論点④:反社会勢力との癒着
さらに、大手証券会社が総会屋などの反社会勢力の口座に対して株価下落の損失補填を平然と行うなど、構造的腐敗が横行していました。97年には業界トップの野村証券本社へ強制捜査が入り、戦後日本が築いてきた金融システムの信用と権威は完全に崩壊しました。
論点⑤:コーポレート・ガバナンスの不全と会計の限界
四大証券の一角だった山一証券を破綻に追い込んだのは、顧客の巨額の含み損が発生している金融資産をペーパー会社等の簿外に転売して隠蔽する「飛ばし取引」でした。これが長期間露呈しなかった背景には、当時の「取得原価主義」により資産価値の暴落を決算書に表面化させずに済んだことや、グループ全体の業績を開示する「連結決算」が義務付けられていなかったという会計制度の限界があります。さらに、取締役会は年功序列で就任した同質な生え抜きのみで構成され、多様性や社外取締役などの外部の監視の目がなく、企業統治(コーポレート・ガバナンス)は完全に機能不全でした。
90年代は単に景気が悪かっただけでなく、日本が国を挙げ、トップが率先して不公正な行為やルールからの逸脱、先送りを容認し続けた「デタラメ」な10年間であったと言えます。このルール違反の代償こそが、その後の「日本劣化を決定づけた10年」の真の正体です。
2000年~2010年:「90年代」をいかに克服するか
2000年代の株式市場は、90年代の負の遺産である不良債権問題の解消に向けた動きが中心でした。当時の小泉純一郎首相と竹中平蔵経済財政政策担当大臣のもと、銀行に対して不良債権比率を半減させる厳しい数値基準が課され、激しい債権回収の末に目標を達成し問題は収束へ向かいました。この過程では、プライベート・エクイティ・ファンドなどの投資ファンドが登場し、日本経済の活性化に役割を果たしました。さらにこの時代は会計改革も進展し、01年からの国際会計基準(IFRS)策定への参加を機に、日本基準との差異をなくす取り組みが本格化しました。現在では東証プライム市場の時価総額の半分以上をIFRS採用企業が占めています。
2010年~2020年:「90年代」をいかに振り切るか
安倍晋三元首相は12年から金融政策、財政政策、成長戦略の「3本の矢」を柱とするアベノミクスを始動させました。13年にはニューヨーク証券取引所で日本への投資を呼びかけ、グローバル投資家の関心を再び日本へ向ける大きな功績を残しました。さらに、14年のスチュワードシップ・コードや15年のコーポレートガバナンス・コードの策定といったガバナンス改革も主導しました。これらは企業に株主のための経営を促し、投資家との連携による利益向上や雇用の創出といった好循環を生み出す礎となりました。
2020年~現在そして未来へ:「90年代」に別れを告げる
現在、日経平均株価は最高値を更新し、日本経済が「失われた30年」を過去のものとして復活したという見方もあります。しかし突き放して見てみると、この30年余りで米国株が20倍以上に成長したのに対し日本は2倍に留まり、韓国が半導体企業を筆頭に株式市場を急拡大させている一方、かつて世界2位だった日本の一人当たり名目GDPは36位に沈んでいます。何より、現在も企業による不正は後を絶ちません。私たちは「90年代」を単に過去の歴史として葬り去るのではなく、そこから得られた教訓を真摯に継承し、日本の未来を再構築していくことが極めて重要です。